52号  追加

mezakuro2004-11-28


かがみさんがひさしぶりに書かれた紳士感想に触発され、私もなにかないものかと52号のジャンプを読み返してみました。


でも、矢吹先生なき後、まさか、そんなに都合よく偉大ポイントが見つかるわけないですよね。


●デスノート

荒涼とした現代社会に使わされた神秘の偶像、アイドル……。
彼女たち(あるいは彼ら)は、生身の人間である前に「商品」であることを義務付けられ、そのイメージを守るために、徹底的に管理された生活を強いられると聞きます。

大勢のファンの愛を受け止めるために、アイドルは「生身の人間」であってはならない。
しかし、まさか、ヨシダプロダクションがマルチタレント弥 海砂に対してこれほど苛酷な仕打ちをしていただなんて、私は怒りで震えが止まりません。


大場先生と小畑先生が「DEATH NOTE」という作品を通じて訴えたかったテーマの一つが「芸能プロダクションが専属タレントに施す非人権的な行為に対する憤り」であることは、もはや論を待ちません。

小畑先生が、その美麗な筆捌きでえぐり出した真実から、我々は目を背けてはならないのです。


> 「アイドル うんちしないし」

そう語ったミサミサ左手にご注目ください。
なんということでしょう、彼女の手には、明らかに非人道的な形成手術を受けた痕跡があるのです。

生身の人間ではないということをこんな形で「演出」するとは、なんという残虐無比な行為でしょうか。これは、もはや人体改造です。断じて許されるべきことではありません。


なにより、ティーン誌で大人気のミサミサとはいえ、一生アイドルであることなど不可能です。
彼女がアイドルという仕事をやめたとき、その左手だけが「人間以上」を演出する神秘でありつづけることなどできません。もはや、それは「COOLドライブ」くらいでしか役に立たない笑いの小道具に成り下がってしまうのは火を見るよりも明らかでしょう。

そのとき、ヨシダプロはいったいどうやって彼女に償うつもりなのでしょうか?


華やかな芸能界の影で横行するあまりにも行き過ぎた行為。
しかし、直接の引き金を引いたのがヨシダプロであったとしても、その遠因を作っているのは、私たちファンに他なりません。

アイドルを思う気持ちが、逆に、そのアイドルを傷つけてゆくという残酷なジレンマ。
我々は、「愛」というものを真剣に見直す時期に来ているのかもしれません。